今こそ台湾を見よ①
台湾で受け継がれる『日本精神』
昨年哲人王という李登輝の映画が上映されていた。李登輝について知ってる世代は懐かしく思い、知らない世代はこの映画の内容にきっと驚くだろう。
彼は国民党独裁政権に終止符を打ち、台湾史上初のしかも非暴力民主化を成し遂げた英雄である。
彼はかつて日本人だった。
台湾では『日本精神』なる言葉がある。李登輝および、多くの台湾人の心に宿る理念である。それは日本の統治時代に日本人が残した公の為に尽くす精神であり、現代日本が失ってしまった武士道の精神とも言えるだろう。
日本が日清戦争に勝利し、下関条約による台湾割譲が1895年。その後日本が台湾に最初に作ったものは、他でもない学堂だった。当時の日本人たちは教育こそアジア発展の要であると考えたのだ。
世界を席巻していた西洋諸国が行った圧政と搾取が基本となる白人帝国主義の植民地支配とは全く異なる考え方と統治方法である。
日本全国から選りすぐりの七人の教師が集められ、学堂がある台北にすぐ赴任した。彼らは皆20代から30代の優秀な青年達であった。
しかし翌年1896年の元旦、事件が起きる。暴徒が学堂を襲撃したのである。当時はまだ抗日ゲリラが暴動を頻発させていた時代であった。
台湾を思い台湾に殉じた青年教師達
事前に騒ぎを聞きつけた村人達から、早く逃げるよう忠告もあったが、日本から来た若き先生達は「もし我々が国難に殉ずることがあれば台湾子弟に日本国民としての精神を具体的に宣示できる」と言って逃亡を拒否した。
100人を超える暴徒に囲まれた先生達は必死に教育の大切さを訴え続けたが、一時帰国をしていた1名を除き、結局6人全員がその場で惨殺されたのである。
この先生達は今では芝山巌(しざんがん)に建てられた神社に六士先生として祀られ、日本の覚悟と精神を台湾に根付かせる象徴となった。
その後も日本から台湾に対する有形無形の財産の移行は止まることがなかった。
八田與一の当時アジア最大のダム建設や明石元二郎による水力発電、新渡戸稲造の製糖業育成など、日本の最高頭脳と実践力を持った偉人達が台湾に尽くしていったのである。
李登輝はその日本の教育を受け育った。大東亜戦争では日本帝国陸軍少尉として戦い、兄は戦死し靖国に祀られている。
李登輝は「統治時代、日本は偉大なことをした」と強調する。そして日本人は日本の歴史に対して誇りを持てと鼓舞するのである。
同じく日本の統治を受けた朝鮮半島とは正に真逆の評価なのだ。
続く